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2016年6月 1日 (水)

画面越しに見るスロットマシン

 終電車、隣に座ってるおっさんが、スマートフォンでパチスロの動画を観ている。

おれはギャンブルをやらないから、パチスロの動画を見てそれがどんな意味があるのか、なんかテクニック的な参考になるのかまったくわからないけど、ギャンブルに中毒になってるのは楽しそうだなと思った。

 インディアンのメディスンマンから聞いた話だけど、合衆国政府は、ネイティブアメリカンの精神と文化を滅ぼすために、ネバダで核実験をして、ラスベガスにカジノを作って、田舎に格安のリカーショップを展開させて、マフィアのドラッグを放任して、インディアンたちを放射能を浴びせアルコール中毒、ドラッグ中毒、ギャンブル浸けにしたあとにファストフードチェーンの味を覚えさせて、精神をズタズタに引き裂いたんだって言ってた。

 それはインディアンの被害妄想かもしれない。
 わからないけどさ、ただ、おれは実際に日本の福島に行って聞いた話では、彼の地で暮らす人にとって深刻な問題は、政府から給付された金をパチンコやギャンブルにつぎ込んで働かなくなった人たちだって聞いた。そのときインディアンの話を思い出したよ。

 こういう話、興味あるかい?おれはちょっと距離を置いている。苦手なんだ。
 正直さ、何て言ったらいいかわからないんだよ。

怒りや憤慨を感じても、それはまるで自分が社会的に正しいことを前提とした、己とかけ離れた架空の感情のように感じてしまう。


 おれは電車の中でパチスロの動画を観ているオッサンの横で最近Oが書き上げた小説の原稿を読んでいた。

今回の話はNGがモデルになったミュージシャンが登場する恋愛小説だった。

 自分がネタになっていると聞いて、ゴミみたいな描写の連続とバッドエンドを想像していたけれど、意外にもスッキリした話で、ミュージシャンの描写はOには言ってないはずのエピソードまでも正確に言い当て描かれた文章で面食らった。

 作品てなんだろう?作品はいつ終わるんだろう?どこまでが作品で、どこまでが実人生なんだろうか?

考えながら夜更けに行った。この小説は、もうおれが批評するような次元の作品ではないと思った。自分が出てくると客観視しづらいし。

 Oの書いた話は、インディアンのギャンブル依存の話よりもずっと身近で、そして現在のなんかどうしようもできない、やるせない感情を描いた物語だった。

今、生きているこのときから物語が生まれるのか?
他人の国の他人の苦境じゃない、今、このときだ。この電車に乗っているとき、この街を歩いているとき、何を感じているか?

カマボコ板いじってるんじゃねえ、って言いたいわけではないよ。
今、おれもカマボコ板でこれを書いている。
 ハッキリ言って、どうしようもない時間を費やすくらいなら、カマボコ板でギャンブルしている方がマシなんじゃないかなと思うことさえあるよ。

書こう、と思う。

おれのここに書いている文章は、日記みたいなものだ。作品て感じじゃないよ。
ここに記されているものから、日々を何度も噛み砕いて、落ち穂を拾うようにして書いていこうと思う。

★★★★★★

「真昼の夜更け」に来てくれてありがとう。
白昼夢、てか悪夢みたいだった。
結局、夜更けの前じゃなくて隣のコーヒー屋さんの前でやってさ。とってもたくさんの人が集まってくれた。
EPPAIさんは、人々を連れ去るハーメルンの笛吹きか、あるいは総てを支配する魔王のように振る舞って。みんなの日曜日の午後を知らない場所に連れ去った。
素敵だったな。

邪の固まりのようなイベントだったけど、小学生のガキが観に来てくれた。最近仲良くなったやつなんだけどさ、そいつが目をまん丸くして驚いたり笑ったりすると、嬉しいし、なぜだか、生命の神秘を感じるんだな。おれも焼きが回ってきたのかな。

ガキがいつか未来になって、あの日曜日を夢のように思い出してくれたら、おれはなんも言うことはない。

それがいい夢かどうかはちょっと保証できないけどね


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