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2015年2月27日 (金)

驢馬レコーディング第三日目 終了 攻撃性とユーモアの苺

驢馬の三日間のレコーディングが終わった。様々なことあったが、今はただ眠りたい。

 異例のスピードは止まることを知らず、おれたちは三日間で11曲のリズムベーシック、ギターのオーバーダブ、歌の本録り、コーラス録りを総て終えた。これにはおれ自身も本当に驚きだ。何が時間かかるかって、第一にガットギターのレコーディングに時間がかかると思っていたし(実際他の楽器よりは時間がかかったが)、もちろん歌録りには時間をかけるべきだと考えていた。

 だが結果から言えばそれらはことごとく録れてしまった。
 何が強かったか、それは迷うことがなかったことだ。五人が作品のヴィジョンを強く共有していた。ヴィジョンこそが必要であり、肝要であり、作品そのものなのだと痛感した。

一番アホらしく楽しかったのはコーラス録りだった。驢馬の曲の暴力的にユーモラスなパンチラインを全員で叫ぶ。しかも三日間のレコーディングで身体を完全に酷使した後にだ。最高だろ。

「フェラ○オ」と計60回、
「先生」とは計158回も叫んだ。もっと叫んだ単語もあるが、それは秘密だ。こう書くとAVのタイトルみたいだな
「アーバンハードコア女教師フェラ○オX!先生!!!
とかね

 メンバー全員大声で叫んだ。それはまるで運動部の最悪な根性練習みたいでクソ面白かった。非常に緻密で構成的な音楽の宮殿を築き上げて、そこにショートケーキの苺のごとく鎮座するのは大の男五人による真剣で卑猥なドス声なのだ。もし驢馬がスタイリッシュで批評性の高い熟練した音楽しかやらないバンドだったらおれはとっくに辞めていたと思う。怒りと攻撃性と同じくらいのコメディ、愉快さ、それゆえに付随する無理解だったり、客観的なナンセンスが結実した果実としての苺になってるんだ。…もうこれ以上はやめよう。聴けばわかると思う。


 25時頃に総ての作業が終わり、最後まで残った壺とおれは打ち上げに飲みに行った。福井もいた。途中まで寝てたが。

「こういうときに限って喧嘩になる」とも思ったがそうはならなかった。
おれたちは互いに次の作戦にしか興味なく、それを考えて言い合っていた。

 もう少し録り終えた余韻に浸ったり、歓びを共有してもよかったんじゃないか?

 いや、それは十分だ。まず録りが終えられたことだけでも十分喜んでいたし、それは口に出さずともまったくわかりきったことだった。

今回のプリプロのときに手伝ってくれたみちゃんも合流して飲んだ。
みちゃんはこのブログを読んでくれていて、心得たようにおれたちに接してくれた。

「レコーディングが終わって休みがあったら何がしたいの?」と聞かれ、おれは「本が読みたい」と答えた。そして大好きな本の話をした。

レコーディング前夜に読んだポール・オースターの偶然の音楽、まだ読み終えていない奇妙なアフリカの小説であるエイモス・チュツオーラのやし酒飲み、まったく読み進められないカント、大好きなSFであるハイペリオン、さらに最近第一稿を書き上げたOの夜更けの人々に関する小説。
思い出しただけで夢をみているかのようだ。やし酒飲みのジャングルと死者の町に、ハイペリオンの彼方の惑星に、かえりたかった。

 だがやがて午前四時が過ぎ始発が出て、ランチから出勤だったおれは懲りもせず驢馬の出来たてのレコーディング音源を聴きながら電車に乗った。まだ暫くは本の中にはかえれないのだった。



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2015年2月25日 (水)

驢馬レコーディング二日目 ビヨビヨしてきた

 驢馬のレコーディング二日目が終わり、おれはビヨビヨしてきた。
ビヨビヨとはたった今思い付いた造語で、イライラを遥かに超えた状況を現す。
不安、緊張、際限ない苛立ち、の渦巻きにいるとき人はビヨビヨするのだ。

一体どうしてビヨビヨしているんだ?

 驢馬のレコーディングは予想を遥かに上回る順調さで一日半でベーシックを11曲録り終えて、二日目の夕方からはもはやギターのオーバーダブとボーカルのレコーディングに入ってしまった。
 順調さの理由としては、すべての曲を3テイク以内に、しかも一発録りでドラムス、ベース、エレキギター、ガットギター、さらにはボーカルも同時に録音しているからだ。つまりメンバー五人で一緒に録っている。もちろんガットはラインのみだが。

 第二の理由はプリプロと練習のし過ぎで曲のアレンジが完全に決定されており、迷う必要性が皆無だということである。とにかく演奏に集中すればいい。例えるなら特攻隊の飛行訓練を積んだ兵士がなんの心配もせず爆弾を抱えて敵陣に迷うことなく特攻していくときに似ている。作戦はもう決定されているのだ。例えが悪いか。

 第三の理由はエンジニアさんが「パンクバンドとかだったら一日で11曲くらい一気に一発で録っちゃうけどね」と言っていたので、「じゃあおれたちはパンクバンドだから行ける」という方針で一気にイッた。基本的に史上最強であらせられる「おれのドラムは邪王炎殺黒龍波と同じ」壱様は2テイク以上の演奏を好まれず、最強の演奏を一瞬で披露されてしまうのだった。壱様だけは1日目で7曲という成果にご満足されない様子で「絶対に1日で11曲は行けたのに。はやくもう1回ヤりたい」と仰られてNGを唖然とさせ、ドラムレコーディングが終わるやいなや、すやすやとご就寝あそばれた。黒龍波は疲れるのだ。

 どんどんレコーディングが進むにつれて、おれは「プリプロやっといてよかったね」とか「壱様すごいねステキだね」とか「コーヒー淹れますか」とか謎のおためごかし意味無しトークをはじめた。ビヨビヨしてきたのだった。
 
 本音を言えば永遠にベーシックレコーディングしてればよかったのにとさえ思った。
これからギターのオーバーダブの作業であり、言うなればNGはここからが本番である(ガットギターは生音で音も小さいので感度の良いマイクを必要とし、ドラムと同時に録音することは難しい。)。おれはレコーディングの度に痛感させられるのだが、リズムが不燃ゴミ以下で、メンタルも緊張に弱く腑抜け、レコーディングミュージシャンとしてはカスなのだ。

レコーディングミュージシャンとして異常に優秀なのは福井とかいうやつで、こいつはリズムも優秀、マルチ楽器奏者というこで、とにかく使い勝手がよく惚れ惚れする。

驢馬のオーバーダブ作業はもろに人間模様が露になる瞬間でもある。


福井のエレキギター録音→他全員退出(興味ない)

壺の歌録り→他全員寝る(…)

NGのガットギター録り→全員爆笑orディス

といった有り様だ。
本当にビヨビヨしてきた。こんなにはやくベーシック録りが終わらなければ誰にも邪魔されることなく孤独にギター録れたのに。そんなこと言ってもしょうがないので二日目の最後にフェラチオピカソのギターをレコーディングした。

ガットギターの7フレットの弦の間に櫛を差し込み、右手にもう一本櫛を持って三味線のバチのように持って弾くという演奏である。途中で櫛を櫛で叩き、打撃音と倍音を発生させる。フレッドフリスやビル・フリゼールにヒントを得た、プリペアドギターとも言える奏法である。

非常に神経を使う緻密な演奏であったが、コントロールルームは爆笑の渦であったらしい。見えなくて聞こえなくてよかった。帰ると「よっ!巨匠!!」「笑わせてもろたわ」などなど労いの言葉をかけられた。

 NGの演奏に関しては、本人はマジなんだが、客観的にはアホ過ぎるが、本人はそれを踏まえた上でさらに真剣という、エゴと批評性のウザいテリーヌ状態になっているので笑ってくれるのは嬉しいが、本人は故意に笑わせようとしたら意味ない、無価値な演奏なのだ。難しいしメンドクサイな。どうでもいいからとにかくはやく終わらせたい。


集中してやろう。



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驢馬レコーディング第一日目 フェテイシズムとの出会い

フランキースマトラというDJのミックスがオールドスクーラーでスインギーで最高だから聴いた方がいいよ。

Listen to Vegas Mix2 by Frankie Sumatra #np on #SoundCloud
http://soundcloud.com/frankie-sumatra/vegas-mix2



 驢馬のレコーディング第一日目が終わった。
土台となるベーシックの録音は一日目の驢馬としては異例の順調さで七曲の楽曲を録り終えることができた。

 レコーディングというのは作品を創る無常の歓びがあるものの、同時にゲロ吐いて胃痙攣しながら目の前が真っ暗になるほどの憂鬱さを伴う。おれはライブもレコーディングも大好きだが、それはモテようとして自分自身にとんでもない盛り方をしているのと基本的には同じだ。

ただ、レコーディングスタジオはまた格別だ。普通男子はある程度異常のフェテイシズム(物愛とでもいうべきか。)を抱えているものだ。レコーディングの前日おれはまったく眠れなくてそれはOから借りたポール・オースターの偶然の音楽という無茶苦茶におもしろい小説を読破した興奮からだけではなかった。マジに恐ろしかった。それと同時に本当にドキドキするほど楽しみであった。機材たちに会えることがだ。

 マイク一本一本とそこから生え這い回るケーブルの数々。さらにつながるコックピットのようなコントロールルームのミキサー卓に、その下に隠れて光る重厚なラックの数々。そいつらが光輝きながらおれたちの音を一斉に吸収してハイファイな周波数のデータに変えている。(HDレコーディングなんだ)それを一目観ただけで、彼ら機材のひとつひとつを愛しいとしか思えないし、すべてのキャノンとアンバランスのインプットに欲情してしまう。

 フェテイシズムの思い出がよみがえってきた。

 フェテイシズムという概念に初めて出逢った幼いおれはとても嫌なガキで、小学3年生頃にみんなが遊戯王カードやポケモンカードをやっていたときに当時まだ翻訳されていなかったマジックザギャザリングというカードゲームをやっていたんだ。知ってる?世界大会なんかもあって、レアカード「真鍮の都」っていうのが100$以上の高値で売買されてた。大昔のおたくカルチャーにはそういう闇の側面があっておおいに心惹かれた。
小学生のおれは本当に糞ガキで当時の大学生相手にゲーム機をコンプリートカードと交換取引したり、ダイスを握ってTRPGに興じたりとおおよそ今のおたくカルチャーとは一線を画したアナログで魔術的な隠微な遊びに心奪われていた。友達は怖がってだれもついてこなかったよ。

 で、「マジック」(日本でギャザと呼ばれだしたのはもっと後だと思う)のなかに「fetishの供儀」とかいうカードがあって。黒1マナ、無色2マナとかそういったエンチャントメントだ。英語で書かれた能力の意味が何度辞書を引いてもわからなくてお父さんに聞いてみたんだ。そのときおれはまだフェテイシズムの意味などわからないし、カードの名前などどうでもよくて能力が知りたかった。ただしカードに描かれた絵はちぎれた耳たぶの首飾りだったんだ。子どもはそういうのなんとも思わない。

 お父さんはカードに書かれた英語を翻訳してくれたが、絵を見てかなり眉をひそめた。そして
「おまえ、フェテイシズムの意味わかってるのか?」と聞いてきた。
わかるわけない。ただ、あんまりいい意味じゃないことは子ども心にもわかっていた。
「どういう意味?」と平然を装って聞くと親父は教えてくれた。

「フェテイシズムとは古代ヨーロッパで発達した魔術の一要素で、あんまり日本にはない文化だ。古代ヨーロッパ人、特に北方のバイキングとかああいった民族はキリスト教以前の呪術として、動物や人間の身体の一部に魔術的な力が宿っていると信じていた。そこから戦争で殺した相手の兵士の生首を家の軒先に魔除けとして飾ったりといったことが起こった。人体の一部、耳や歯などにも力があると信じられていた。そこから生まれたモノへの信仰とか考え方がフェテイシズムの起源だ」

おれの親父は万事が万事こんな感じなんだよ。

 それを聞いたおれはフェテイシズムの
意味を知って、なんだか誇らしい気持ちになった。バカげてるだろ。そのときおれはフェテイシズムの意味がわかったことが嬉しかったんだ。親父の受け売りのおかげでさ。だから生の耳がちぎられて首飾りになっている絵でさえ誇らしいような気がした。とても素直で同時にねじくれた子どもだったと思うよ。とにかくおれはフェテイシズムという概念に対してそんなことで肯定的に育った。

 おれは今ではありとあらゆるフェテイシズムを抱えて生きている。でもそれは人間というグロテスクなモノを相手にする日常の中で時としては救いだ。おれは人間を相手にする仕事を選んでしまったんだ。毎日毎日人間を相手にしていると、あるとき人間というものが本当に嫌になるときがある。
でもそういうときにモノへの愛情、愛着と、人体への奇天烈なフェテイシズムがおれの感情を鎮めてくれる。 

 相当に変態的な嗜好のように思うが、まったく否定する気はないんだ。
大の男が音楽にかまけるどころか完全に人生と魂ごと音楽の底に没頭するには資質が必要だ。おれはその資質のひとつが、ある種のフェテイシズムだと思う。

良きつけ、悪しきつけ。




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齢29にしてグレた

 最近ずっと無性にイライラしていて、自暴自棄になり、齢29歳にしてグレることにした。
 29にしてグレるとは、いったいどういうことなのか?
 タバコを吸ったり、酒を暴飲したり、危険ドラッグをやったりすることはこの年になれば別段特にどうということもなく、グレたことにはならないだろう。
 喧嘩をすることも暴力を振るうことも、大体うんざりだしやりたいとも思わなくなった。

髪の毛を染めたりすることも、おれは十代でグレたときは黒く染めたくらいで(ローリング・ストーンズというバンドの黒く塗れという曲のブライアンジョーンズさんのシタールに感銘を受けたのであった)、大体おれの髪の毛は茶色がかっていて、小学生の頃などは「染めている」と疑われることがひどく嫌だったのだ。つまりめんどくさいややこしい奴だったので、逆に染髪への憧れ皆無である。
 おしゃれをするという手もあるな、グレておしゃれをするというのはなんとかっこよく甘美でスマートな手段だろう。憧れはすれど、おれの無性な欲求はたぶんスマートなかっこのよい方法では満足を得ない予感がする。ので、残念ながら今回はグレておしゃれをするわけにはいかないのだ。
 セックスやだらけた放蕩な性に走るというのも魅力的なグレ方の一つである。暴走気味な有り余る性欲などがあれば多分ナイス感が出ると思う。高校生の時分には蘇る金狼や野獣死すべしの大薮春彦に憧れて、敵のスパイの女とセックス中に暗殺者数名にホテルに踏み込まれ、結合したままの状態でベッドからジャンプし裸のままの女スパイの躯を盾にとってコルトガバメント連射、暗殺者は息絶え、あまりに激しい銃撃アクションに女スパイは絶頂に達し(まだ結合したままである!)、しかし主人公はなんの感慨もない冷徹な男。ただし下半身は相も変わらず鋼のように屹立していた・・・という描写に激しい憧れをもっていたが(この辺は蘇る金狼や野獣死すべしの映画版にほとんど描かれていない。あほらし過ぎたのか?大薮原作には激しく美しく描かれているのだ)、今となっては特になにも思わなくなってしまった。若干のアホらしさは否めない。

(こんなこと書いたらファンのみんながマジでガッカリするかもしれない。ごめん。もし結合したままジャンプしてみたい女性、あるいはNGのことを暗殺したい人がいましたら連絡ください。)


 つまり、いわゆる広義の「グレ」を今さらやってもダメだし興味ないし年齢に不相応だ。この年齢でそういう半端な悪さをする厄介者はまさしく「半グレ」というクソである。

NGが今まさにやろうとしていることはいわば「本グレ」であり、本気でグレるということである。
そういえばロック音楽に耽溺して人生を棒に振るというグレ型もあった。

なんと逆説的なグレであろう!おれはそういえばロック音楽をやっていたのだ。

 ロックをやっているうちに、ローリング・ストーンズというグレ先輩たちがブルーズマンの方がよりグレていると誘い、あるいはソウルミュージック、いやいやジャズだジャイブだニューオリンズ、革命後キューバに革命前キューバ。ドイツだクラウトロックだノイエドイチェベッレだとか言ってるうちにやはりニューウェーブこそグレだと思ったり、ニューヨークロフトジャズだったり、クロノスカルテット!ジョンケージ!いやいや結局ルーリード!つまりそれってヒップホップだよねとか言ってるうちにジョーヘンリーとか現れ、逆に伝統的な音楽にこそグレた生きかたが!とか思ってるうちにだんだん回帰していってジョニー・キャッシュのカントリー音楽こそ古きよきグレ!(←今ここ)とかなってはいる。
 自分のことをふと振り返ると、

zampanoという怠惰なグレたアコースティックデュオで馨子というダラシナイ女に歌わせて、グッドラヴィンンプロダクションという正しく日本ロックのグレオブグレ!総本山!!というべきレーベルからリリースさせていただいたり、(レーベルメイトの同世代は女なのに男と名乗ったりスネオなのに狂気と名乗るグレた面々。)
 驢馬というグレにしか見えぬ五人組で「殺意」「農薬」「支配者」などという仰天のリアルグレロックをしかもわたしはこともあろうにガットギターを爆音で演奏していた。

これ以上どうグレようというのだ?
 音楽を追求してわかってきたことはグレを突き詰めれば突き詰めるほどその実態は素直さやピュアな純情にまで行ってしまうということ。例えばブルーズマンを描いた映画のキャデラックレコードでハーピストリトル・ウォルターは宝石店に車で突っ込んだり、自分の偽物ミュージシャンをピストルで射殺したりと半端ないグレ方だったが、なによりお母さんのことが大好きで、母や家族を想えばこそ。どっかでなにかが狂っちまった、それだけなんだよ…という始末。もはやグレではない。これは純情であり、任侠である。
 それを厳しい目付きで優しく見守るハウリン・ウルフもシカゴブルース界のラスボス、大魔王として存在感も大迫力だが、彼のやっていることと言えばこれまたステージで殺されそうになったバンドメンバーを命懸けで守ったり、ミュージシャンの権利を主張するために会社に渡り合ったり、憎んでいた友人が死ねば葬儀の費用を出したりと、これまた純情であり任侠でありこれではただの組長である。カッコいいが全然グレてない!真っ直ぐじゃねえか!
 自分としてはかつて十代でグレた(大したグレ方ではなかった)後に、ハウリン・ウルフ的組長的王道極道に憧れ、純情や任侠に全うしたい!と思い今まで生きてきたが、それがどうにも嫌になったのだった。だからもう任侠もクソもねー
 というか、自分は人情とか興味があるふりして本当に根っこの根っこの深い部分ではぜんぜん興味がないことに、ついに自分で思い知り気がついてしまった。第一本当は他人に興味がない!のだ!
 他人に興味がありそうに振る舞うのは「自分の作品の参考になるかも」という利己的な意味以外なにものもなかった!恐るべし自己中心主義。
だが、おれのそばにいる人は多かれ少なかれおれの利己作品主義に気づいていて、それでもなお興味本意で巻き起こされる人情活劇に付き合ってくれているに違いない、、、ありがとうございます。
 で、何をしようかと思ったかというとこれは!哲学なんじゃないかなと思い当たったのでした。
 五年ほど前に、中上健次の影響でエリック・ホッファの波止場日記を読んで、こうやって学びかつ働き生きるのはすばらしいなと思ったのだが、こんな清貧な生き様はおれには無理だあ、清くも貧しくもないし、、、とか感じてなんもしてこなかった。

だが、違う!エリック・ホッファも清貧とは違うと思うよ。まずは人間に埋没しないよう精神を隔絶しないといけない。それは非常に苦しい営みだが、ホッファは生まれ育った環境的にそうならざるを得なかった。そして問い続けること、偽りの世間的真実に一切妥協せず、真実を求め続けること。ホッファは季節労働者として、沖仲士として働きながらそれをやったんだ。ものすごいよな。
 一見無益な問いの中に佇み、貪欲に知識を欲し、異星人を眺めるように人間を観察して、悪魔のごとく神や権力やシステムそのものを破滅させる!

そのことこそ哲学の本分だ!そしてそれこそ、生き生きと希望を感じ、おれのやりたいことと合致し、誰からも理解されず、不明だ!これぞ本グレ!最高!
と思って、図書館でカントの純粋理性批判を借りてきて読んでみたがぜんぜんわからない。

だが、おれはニーチェやサルトル、メルロ・ポンティといったスターの著作よりもハードコアでオールドスクーラーな印象を受けるカントから哲学的探求を出発したい。そう考える所存です。
 あなたがNGに次に会ったとき、さらにややこしく、偏屈でウルサイやつになっているかもしれないが、それはただNGが三十路目前にしてグレただけなので何の心配もいらない。
 グレて世を転覆させようと企むのは、これこらやることがたくさんあり、楽しみである。

あくまで武力やテロではなく(流行ってるよね)、概念を転覆させる。コペルニクス的転回起こすバルバロイ!だ!

 もともとバルバロイとはギリシャの知識人が南蛮民族および、狂った哲学者をさしてバルバロイ(何を喋ってるかわからないやつら)と読んだのが興りだそうだ。
バルバロイの末裔として人生の想像力の闇部に突撃したいと思ふグレ。

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2015年2月 1日 (日)

アシッドオペラ

 クソマジメな話が続いて自分でもげんなり。

明るい話題を。

 今朝見た夢は乃木坂46の生田絵梨花a.k.a.いくちゃんの家にいる夢で、途中までは最強に幸せだった。

(以下はかなり虚しい妄想の夢なので、そういうの無理!っていう人は閲覧しないでください。クレームは一切受け付けません)

 乃木坂のメンバーに連れられて(すでに設定がヤバイ)、いくちゃんの部屋に入る(!)とおれがもってるサンプラー/シーケンサーであるエレクトライブ赤があった。
あれっ!これおれもおんなじの持ってるよ!と言うと横にいた白石麻衣a.k.a.まいやん(まいやんサブキャラ扱いでスマン)が「いくちゃんはクラシック音楽から脱却したくてディープハウスが作りたいみたいなの」と教えてくれた。


なんと!NGもディープハウス大好きなんだよ!じゃあいくちゃんのためにいっちょトラックを作っちゃおうと決意したNG。リミットはいくちゃんがお風呂から上がってくるまでだ!(夢なので許してください)

 ハリキッたNG!しかしガンバりすぎたのか出来上がったトラックはディープハウスというよりはかなりドープなジャックマスターファンクも顔負けなアシッドトラックだった。


お風呂から上がってきたいくちゃん(湯上がり美人)はそれを聴いて


「NGくん、わたしのシーケンサー使ってこんなの作ったんだ。最低。アシッドなんてわたしの部屋に持ち込まないで!」


と言って泣いてしまった(オロオロ)。まいやんはおれを睨んでいるし、さゆりんごだけはなぜかヘラヘラしている。

ちがうよ、アシッドなんてやるわけないじゃんか。といっておれのポケットから出てきたトイレットペーパー(?)が全部アシッドだった。

死にたい。そう思った。

 次の瞬間おれは居酒屋地獄に落とされていた(なにぶん夢なモノで)。そこはある地方都市の一角で、誰も働かないで朝から晩までラリっては酒を飲み放題という地獄の居酒屋なのである。友人のIちゃんや後輩のS一もいるのだ。もちろんJさんもいた。そこの居酒屋はキッチンもカウンターもなく永遠にダブとP.I .L.のフラワーズオブロマンスが鳴り響いている。おれは煙草を吸わないからとお茶を濁していたが、結局は大量に吸引してしまった。


 へべれけになったおれの目の前に突然現れた男の姿を見るとおれのバイト先のコックコートを着ていた。


あなたは?!というと、


おまえこのコックコートがわかるのか?と言う。


そうです、あの店でバイトしてるんです。あなたは失踪したあの料理長なんですか???


店長はまだいるのか?元気なのか?


います、今は店長ではありませんが、、、


男はかぶりを振って、視線を落とした。


東京に戻ったら伝えてくれ。おれはもうダメだ。この地獄の居酒屋から出ることができないんだ。二度と会えることはないかもしれないが、どうかお元気でと。


(おしまい)




 目が覚めたおれはとにかくいくちゃんに嫌われたことがショックで死にたいとしか思えなかった。


 横浜でライブだったので、副都心線に乗った。一時間半も電車に乗るので、本を二冊とノートを三冊も持っていったが一行も読まなかったし書かなかった。


 昨晩返してもらったCDを聴いていた。BLACK SHEEPというバリトンサックスとトロンボーンとピアノのジャズトリオだ。SFを題材にした曲を書いていた。これだ!見つけたぞ!!!と思った。

デルタブルーズとデトロイトテクノとフリージャズを混合したSFスペースオペラを作って、大成功していくちゃんに会いに行こう。それしか未来はないのだ。



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破天荒な星のもとに生まれたカルマの物語

 破天荒な男がいた。
 
 いや、破天荒って言うと語弊があるな。
奴は女性を愛するあまり奇行に走ったり、他の男に容赦ない暴力をふるったりしていた。大層な酒飲みでスピード違反飲酒運転で白バイと鬼ごっこなんてザラだった。かと思うと突然工事現場でマジメに働きはじめて重機の免許をいくつもとったり。いきなり仕事辞めたり。むちゃくちゃだったんだよ。

 奴はおれがロックに目覚めたきっかけだった。
 奴にブランキーのサタデーナイトのPVを見せられてベースの照井さんにシビレたおれたちは喧嘩ごっこはやめてバンドを始めたんだ。おれはストラトキャスターを買って、奴はグレッチを。メロン色でブライアン・ジョーンズの使ってたやつだ。ミッキーはブライアンのジャズベース。年下のKZKはおれたちの真似をしてギターを買ったんだけどドラムがいないと言う理由でドラムにさせられたんだ。

 奴のバンドはイギリス英語の「不良の星」といった意味で、バキバキに美しくスピーディーに活動していった。メンバーは奴のギターボーカルとKZKのドラムの二人だけ。曲もいいし、暴力的だし、よかったんだよ。

 ただ、活動に比例するように喧嘩や暴走のトラブルは増えていった。10代も後半になると女も絡めたトラブルが出てきて子供の手には負えなくなってくる。それで冒頭の暴走天使の出来上がりというわけだ。

いつしか暴走する季節は終わり、色々壊れてしまった。

 イカれたバンドを活動休止して、ボロボロになった後に奴がソロを始めたとき、おれはサウンド面のプロデュースを買ってでたことがある。周りからは止められたが、おれは奴のことを信じてた。すごいソングライターで、歌手だったんだ。 
 五曲ほど、一緒に作った。弾き語りとR &Bを混ぜたような音楽。奴の作った曲にたいしておれはサンプラーのリズムやシンセサイザーでアレンジを施していった。正直に言って「これは売れる」と確信していた。奴はいくつかの音楽プロダクションにデモテープを送っていたが、結果は芳しくなかったようだ。
とはいえ成功しかけていたこともあったし、必ずなんとかなると確信していた。インターネットの展開に奴は否定的だった。あのときの作品を公開しておけばよかったと何度思ったかしれない。

 KZKは別のバンドで本格的に売れ始めた。歯痒かった。お互いの想いは計り知れない。

 時が経ち、奴とは会わなくなった。理由は忘れてしまったが、そこに至るまでおれと奴は互いに多くのトラブルを起こしてきたが、別れはトラブルのせいじゃなかったと思う。最後の方、奴とおれの華やかだったはずのアコースティック/R&Bプロデュースチームには諦めと空回りする情熱の浮遊感が漂っていて、おれはそういう空気に耐えられず、付き合いを断ってしまったんだ。


 奴との作品制作で学んだものは、現在の作品に完全に生かされている。DAWを使ったミックス、鍵盤、サンプラーで作るリズムアレンジメント、何よりはギターフレーズ。アコースティックギターの素晴らしいプレイヤーだったんだ。奴から盗んだジャンゴ的フレーズや和声は驢馬の中で鳴り響いているし、何よりバラードのメロディーの作り方、作曲技術も。だから今のスタイルはおれ自身のオリジナルじゃないんだ。

 KZKとは今でも会っている。
 奴の女に対する態度や生活の無謀さを憎しみの眼差しで眺めていたKZKは、今や、なぜだか「マトモな生活をしてる奴なんかに大した音楽はできない」ということを言うようになって、ロックスターの一丁上がりだ。どうしたことだろうか?彼はマトモじゃない生活の奴にさんざん痛めつけられていたはずなのに。ロックの現場は不可解だ。

 ただ、おれはなにか運命的なモノを感じた。
カルマだ。
人は自分の一番憎んでいるものに惹かれてしまう。同化してしまう。心理学的にも心的外傷を克服する過程で加害者の心理に無意識に同化しようとする症状があるし、
もっとスピリチュアルな見方をすると(イージーで嫌だが)、いなくなった人物が心の中に「住んで」しまうんだ。心の中に「住んだ」奴が自分の考えとは違う行動をしはじめる。肉親の間ではよく起こるだろう。気づいたら親父とそっくり同じことを言っていたりとか。そして心の中に「住んで」しまった奴は永遠にあの頃のままで原理主義的なんだ。

 そうして人は同じ過ちを繰り返し、一番恐れていたモノに成り代わってしまう。
こういった一連の精神的な系譜や連鎖が果てしなく続く大きな流れのことを仏教では「カルマ」と呼んでいたんじゃないだろうか?

 KZKのカルマに思い当たって驚いたおれは自分自身のカルマにも思いが及んだ。おれもどうやら同じことを繰り返しているようだ。

 おれが繰り返していることは言わずもがな、ちょっとアウトサイダーなやつと組んでサポートするていでいて結局は己の願望のために利用していることだ。綺麗事を並べて取り繕っている。
 そして綺麗事が無理になったときに関係はぶち壊れてしまう。それがおれの繰り返している過ちだ。

綺麗事はもうやめろ。

 おれの中にはいなくなった何人ものミュージシャンが住んでいて、心の中では彼らと対話ができる。でも、そんなことがしたかったのか???

 今、自分の中じゃなくて、あいつらに会いたい。もう一度話がしたい。今の作品を聴いてほしい。

 
 音楽をやっていると制作の過程でどうしようもなく非人間的になることがある。何度もそうやって人間関係をダメにしてきた今だからこそ、この過ちを乗り超えたい。

どんな方法があるだろう?とぐるぐる考えあぐねて、「信じるしかない」「気をつけるしかない」「諦めない」という愚直極まりない方法しか浮かばず笑えてきたが、笑いごとじゃない。

なんとか乗りこえる。

 それはきっと毎日の地道な繰り返しの中にしかない。地味だが少しずつ紡いでいこう。 



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