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2015年1月28日 (水)

真なるバルバロイの詩想

「真なるバルバロイの詩想」でもし検索してきた人がいたら悪いんだが、この記事は詩とか真なるものとはあまり関係ない。
(「真なるバルバロイの詩想」という本があるみたいなんだよ。前回のブログタイトルの関連記事で出てきた。)
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1362463/1378275/67945114

 そう、この本と関係なくて悪いんだが、おれはNGバルバロイと名乗っているミュージシャンで、このブログはそいつが書いてるブログなんだ。おれは上のリンク先の文章を興味深く読んだんだが、あんまり意味がわからなかった。それはおれがバイトを終えたあと、軽く一杯やったからかもしれないし、本当にわからなかったのかもしれないが、おれの認識では「バルバロイとは意味不明のことを言う異人」というくらいのものだ。それで合ってるのかな?この本読んでみようとは思ってる。

 おれは今、時間労働を終えて終電で帰ってきて終バスに乗った。何日か前の誕生日の日から、相も変わらずプリプロとライブとバイトしかしてないさ。合間にちょっと酒を飲んだりはするが、それくらいだ。

 酔っぱらってるせいじゃないんだが、何を隠そう今乗ってるこのバスはおれの家にはたどり着かないんだ。おれの地元には終電後も深夜バスというのが走っていて、うまく乗り継いでおれん家の近くまで行こうとしたのに、ちょっと乗り遅れただけでかなりトンチンカンな行き先のバスしか運行してなかった。困るよ。

 ちょっとみんなにはわからない言い方で言うと、おれの家にたどり着くためには、ミッキーの家の方向にあるH駅の方へ行かなければならない。

このバスは途中のT駅まではいいんだが、途中からKの家のある緑町の方向に曲がってしまう。

Kとは物理学博士号を持ってるイカれた勉強家のKだよ。もしかしてやつは今夜も誰もいない一軒家で独りで数式を解いてるかもしれない。 

そしてKの家を通りすぎて、もはやンジチャオ先生やR嬢の家の方まで行ってしまうんだ。ンジチャオ先生はモンスター幼稚園のベーシストだった男で映像作家としても有名だよな。R嬢はおれが高校時代好きだった女だよ。

そいつらの家の方角にニアミスしながら遂にはiの家の方にまで行ってしまうんだ。

iは昔の親友でもう何年も会っていないが、ラグビー部の友達なんだ。おれはラグビー部じゃなくてバンドをやってたんだが、妙に気が合ったんだ。
iはおれのライブに来ると上裸でモッシュして暴れたり、パイプ椅子を振り回したりしてたっけ。ライブとプロレスを若干混同していたんだ。まあ似たようなもんだから止めはしなかったさ。

iは今は東京にはいないし、ンジチャオ先生やR嬢がどこで何をやってるかは知らないがきっとここにはいないだろう。


 このバスの終点は、おれと幼馴染みのKZKがよく遊びに行っていた釣り堀の跡地に辿り着く。
幼馴染みのKZKはけっこう有名なバンドのドラマーでさ。つい先日ミッキーから聞いたんだけど、KZKのバンドは今大学生が好きなバンドランキングの2位に入ったんだって。あいつ大学生のことが嫌いだけど、幼馴染みのやってることが評価されるのは嬉しいもんだわ。

おれとKZKはバンドを始める前からこの終着の釣り堀でよく釣りをしていたんだ。

 今はその釣り堀は跡形もなくなって巨大なショッピングモールになってる。ショッピングモールの中には本当に必要なモノしかない。
インディーズの服もインディーズの食べ物もインディーズのおもちゃも無いから、おれのやってるインディーズの音楽は売ってないだろう。(笹口くんの受け売りだが)

 でもKZKのバンドのCDはメジャーで長いことやってるからいい加減もしかしたらこの巨大でうすら寒いショッピングモールのCD売り場に並んでるかもしれないなと、25時48分に思いながらおれは家へと帰路を歩いていった。

 深夜に包まれて、ところどころ緑に光るショッピングモールは、あの釣り堀の深緑に濁った水で物欲しそうに口を開ける淡水魚みたいだ。

いや、これは今適当に作ったイモな比喩。


 おれは自分の家とは検討違いな方向に走るトンチンカンな終バスに乗ると変な感慨に襲われてゾクゾクする方だ。かなり奇癖だと思う。霊魂しか乗らないバスがやって来たら間違いなく生きたまま乗ってしまうだろう。必ず歩いて帰ってくるように気をつけるわ。

でもあの釣り堀にいた、肥えた淡水魚たちは(ただの鯉だが)、いったいどこに行ったのだろうか?釣り堀と供に埋められてショッピングモールの礎となってしまったのだろうか?だとしたらショッピングモールに釣り堀と魚の幽霊が出たり、おれがそれを感知しても不思議はない。

それともこの街のどこかで今もエラ呼吸しているのだろうか?



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2015年1月24日 (土)

バルバロイの一日

29才になった。
 朝方に驢馬のスタジオ練習を終えて帰ってきた。近頃はずっとずっとアルバム製作のためにプリプロダクションをやってる。プリプロは音楽詳しくない人にはわかりづらいかもしれないが、作品を下ごしらえしたり試作したり試食したりする感じに似てる。
 おれたちのように自分達でプロデュースしているバンドにとって、このプリプロの作業で作品の良し悪し総てが決まると言っても過言ではない。去年の暮れからもう3ヶ月近くプリプロをやってる。大変だが、同時に楽しくもある作業だ。
 さらにおれのスケジュール管理がズサンだったせいで、zampanoのアルバム製作も時期が重なってきててんやわんやなことになってしまった。

驢馬とzampanoの製作を同時に進めることは学校で例えるなら、まるでストイックな鬼教官の体育と、延々と膨大に続く裁縫の家庭科を同時に常にやってる感じだよ。存外楽しそうだけど。ただ、おれは体育も家庭科も苦手だった。得意なのは国語。

(国語ってよく考えると凄い言葉だな)
 ストレスと緊張が長いこと続いているが、もう馴れた。人間は何にでも馴れてしまうが、なにぶん芸術作品だから馴れてはいけない部分もある。大事な部分で精神的に追い詰められてしまうことも多い。そんな気分のときにインターネットやSNSに触れる気にどうしてもなれなくなった。これは言い訳だ。おれのTwitterが完全にBot化してFBもROM専に堕している。それでもblogはなんとか続けていきたいと思っている。
 そんなときに、普段の生活でやっているアルバイトが意外に精神的な休息時間になったりすることに気づいてビックリした。真面目か。おれの時間労働は知っての通りレストランでホール勤務したり、簡単な前菜料理を作ったりすることなんだが、最近はそれに加えてワインを売っている。ウィスキーに関しては自分も好きだしバーテンの友達が多いこともあってちょっとは知ってたが、ワインを好きになるとは思わなかった。

もちろんソムリエなんてわけにはいかないけど、行き詰まって作品が作れないときにワインの名前や葡萄を覚えたり、客席で素早くボトルを抜栓するのは結構リフレッシュになる。おれが好きなのはシチリア島のネロ・ダーヴォラ種を使ったワイン、サルディーニャ島のカンノナウを使ったワインが好きだった。まだその辺しかわからないけど。
 おれは29才にして、フリーターで実家暮らしの上に預金もないし彼女もいないし免許も持っていない、絶望的なチャランポラン。それでもやりたいことがある。
ミュージシャンになるんだ。
ある意味ではもうすでになっている。が、今年はもう一歩踏み込んで、実務的に、実態としてミュージシャンになる。

 具体的にはまず、今年中に2枚アルバムをプレスで流通盤として出す。ダウンロードリリースで曲を売り出す。そして個人事業主として役所に書類とか出す。それに附随する色んなものもクリアしたい。
そんな風に考えながら朝方帰ってきて昼に起きて少ししたら出勤だった。おれのバイトしているレストランでジャズバンドがライブをやるからフロアを担当することになったんだ。
 おれが演奏で出るわけじゃない。
 長いことライブの裏方スタッフもレストランでも働いてるから勝手はある程度わかってるつもりだった。でもそうはいかなかった。ライブ中にオーダーをとったり、バンドのタイミングを図りながら料理を提供したりワインを空けるのは思った以上に大変だった。ある程度勝手のわかるおれでもそう思うんだから、ライブ会場をやったことのない他のスタッフはもっと大変だったにちがいない。助けるどころか足を引っ張ってしまう自分もいた。
 ジャズバンドはボーカル、ウッドベース、ピアノ、ドラマーの四人。あとで聞いたところによると、おれがギターを弾いていることは知っている上司が、おれが飛び入りでも入れるようにギターをよばなかったらしいんだ。

それを聞いたときにショックだった。おれはホールスタッフで働くのでいっぱいいっぱいで演奏どころじゃなかった。

それどころじゃねえ。
 ショックだったし、考え込んでしまった。もっと働ければあのときギターで飛び入りできたかもしれない。でも、それがミュージシャンとして正しい判断なのか?すべてをかなぐり捨ててもやるべき時があるんじゃないか?

難しいのは、チャンスを見逃した、というより、チャンスを作れなかったんだ。自分が。
 その後さらにトラブルがあって(おれのせいだが)、総てが収束したのは深夜過ぎだった。

そんなことがあった日なのに、職場の人たちは夜ふけにおれの誕生日を祝ってくれた。ワインをボトル3本と日本酒をもらった。感謝以外になかった。ありがとうございます。
 音楽と料理は似ている。況んや酒も。
 20代前半の時は、「夜」はただ暗闇の真っ黒だと思っていたが、20代最後の歳にして「夜」は様々な色があることがようやっと体感的にわかってきた。

かつてバーテンダーの友人Oに

「NGは夜の音楽がやりたいのに、全然できてない」

と言われ、ムキになって暗黒な曲ばかり作ろうとしてたことがある。Jack Swingとかだ。でもむしろRISEや夜更けの太陽のような夜明け前から朝方らへんの曲の方が多かったと思う。まだガキなんだな。

夜にはあらゆる色のグラデーションがあって、そのことをやっとちょっとだけわかった。
 色を曲に反映させたい。
 チャンスがあったらやれる。

もう一歩踏み込んで、チャンスは自分で作るんだ。

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