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2014年4月10日 (木)

さまよう人々が持っていないもの

6日、日曜日。
 新宿のマローネというバーで飲んでいた。Oとナナさんと馨子と。別れた、と言うとOは「みんな、大変だね」と言って睡ってしまった。ナナさんは「NG、フられたんだ。ぷぷー」と笑う。マローネでは店内のBGM、レゲエの後にジョニーキャッシュがかかっていた。
失恋に関して、おれはフラれたくせになんだか未練のような気持ちが薄い。強がっているわけではなくて、なぜだろうか。深く考えるのは止めた。考えてわかることとわからないことがある。今はなぜか寒空に雲が晴れたような心持ちだった。



7日、月曜日。
 荻窪で驢馬のインタビューがあった。インタビューというよりも盛大な決起集会のようになってしまう。内容は大丈夫だろうか?

 終わってみんなが帰った後、福井とふたりでラーメンを食いながらゆっくり話した。
彼はおれのブログについて、「あんなことを書くべきではない」と言う。
「夜更けの太陽は良え曲やで。それが太陽とか言う民宿だったとか、NGの想いとか、関係ないと思うし、知りたくない。アレを読んだらもう情景が変わってしまう。消すべき」だと言う。
 音楽がすべてに優先する福井の言ってることはわかるけれど、おれはあの文章を消したくはなかった。
女々しさだろうか?
福井と話しながら、おれは飲み過ぎて、酔いすぎていた。吐きながら家に帰る。


8日、火曜日。
 最近ランチで一緒に働く、他店のヘルプはi&rという著名なバンドのベーシストなのだ。バンドの関係も近い先輩のような人が、一緒の職場で働いているのはなんだかうれしい。黙々と淡々と働く背の高いイケメンだ。NGじゃあこうは行かないなー
 
大塚meetsでzampanoのライブ。後輩のバンド「まん腹」と対バンだった。まん腹は最高。マニアックな嗜好がさわやかに詰まった音楽。きっと有名になるんじゃないだろうか。

zampanoのライブ。

1 Bird
2 ルル
3 イージー&イージー
4 夜更けの太陽
5 メリーゴーランドにさよならを
6 お団子Boogie

 ライブに幼なじみのKZKが来てくれた。終演後、一緒に飲んだ。
彼はたぶん何か相談したかったんじゃないかと思うが、何も語らなかった。20年以上の付き合いだからべつだんどうするわけでもないのだ。
家に帰れなくなったから、池袋の漫画喫茶に泊まって、頼まれていた仕事、NG業としては久々に闇の仕事をする。思っていた以上に難しい作業で、朝までかけても終わらなかった。くそ、なさけない。そのまま朝バイトに行く。
 


 9日、水曜日。今日もまた例のバンドマンがヘルプに来てくれた。ほとんど眠れていないが、そういう些細なことが嬉しく、励みになる。
 
 ランチの営業が終わっても、また仕込みが終わらない。でもなんとか二万のリハーサル時間に駆け込んだ。
zampano二日連続ギグ。
終わった後に黄金狂のスーザンが来る。やつがいたから飲んでしまう。深酒をしすぎだよ。寝てねえのに。
ギグがはねた後、漫画喫茶に向かう。二日目の作業。がんばれるか。今がんばらなきゃいけない時がある!
四角く切り取られた天井。
 
今どこにいるのか?どこにむかっているのか??
曖昧にしてはいけない。どこにあっても名付け直す必要のある場所から始まり、未だ名前の付いていない場所へ行くということ。自覚を持たなければ。

↑という文章を8時間前に書いていたがなんのことだが全然わからない。

 今は10日、木曜日の朝八時。ようやっと闇の仕事が終わる。二日家に帰らないでネカフェ泊まり歩いてライブやってるからツアーみたいだ。東京だとバイトやってライブやって、その後深夜に謎の作業して、ということが成立するから怖い。ネカフェ難民でその日暮らしの仕事でしのぐワーキングプアの人たちのことを思った。
彼らのことは計り知れないけれど、東京の経済が加速しすぎた状況がこういった働き方や生活を可能にしている。確かに駅に近いネカフェに居れば、眠れるし、寒くはないし、出勤もしやすい。ネット環境があれば大概の事務仕事はできてしまうし、充電さえできればたいていの連絡には事欠かない。ただ充電はできても大切なものはぽろぽろこぼして喪っていくように思った。
ノマドという言葉がイヤで。遊牧民の素晴らしい伝統と文化はモバイルに毒されたクソビジネスマンが模倣して良いものではないと思う。

遊牧民が持っていて、ネカフェ難民やノマドフリーランスビジネスマンが持っていないものはなんだろうか。

それこそ伝統と文化だ。倫理だし、掟。歌とか。知恵。
それがない遊牧民なんてダメだろ。追放だよ。荒野で一人で生きていけよ。

おれはミュージシャンとしてそういう新たな時代の伝統や知恵を探し求めているはずなのに、やっていることはぱっと見のスタイルは、掟のない、働きすぎのクソ現代人みたいなのだ。

それでもおれの触れたもの関わるもの、生み出したものには誇りと伝統の切れ端が含まれているはずだと。

 四角く切り取られたクソみたいなネットカフェの天井の下でも、おれが叩き出して必死で作り上げたものが弱々しい電子的なデータでしかなくても、それでも心のあるものは生まれ得る。
いつか必ず開けた場所にたどり着けるはずだ。だから今は何の価値もないコンテンポラリーで無機質な背景でもいいんだよ。


そう思って仮眠するしかなかった。一時間後にはバイトなんだ。




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