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2014年4月18日 (金)

岩山の上にある未完成の球体都市について

10日の続きから。
時間労働を終えて、深夜は驢馬の練習だった。新曲ができた。すごくシンプルだけど、新しい境地なんじゃないか。新曲ができると嬉しくなる。
 

 11日、やっと休みだった。朝方帰ってきて、昼まで眠る。
 バー、夜更けの人々でのライブ。別れの歌ばかりの歌謡曲をカバーするライブだった。千昌夫の星影のワルツをやった。

1 別れることは つらいけど
仕方がないんだ 君のため
別れに星影の ワルツをうたおう
冷たい心じゃ ないんだよ
冷たい心じゃ ないんだよ
今でも好きだ 死ぬ程に

2 一緒になれる 倖せを
二人で夢見た ほほえんだ
別れに星影の ワルツをうたおう
あんなに愛した 仲なのに
あんなに愛した 仲なのに
涙がにじむ 夜の窓

3 さよならなんて どうしても
いえないだろうな 泣くだろうな
別れに星影の ワルツをうたおう
遠くで祈ろう 倖せを
遠くで祈ろう 倖せを
今夜も星が 降るようだ



それを聞いていたオバチンがキレた。


「あんたねえ!!!いい男なんだから大丈夫だよ!!!ふざけて暗くなってんじゃないよ!!!」

「馨子も自分でレコード出すくらいの歌歌うんだから、自分の歌歌えよ!!!ひとのやっても全然よくないよ!!!」

おれと馨子はびっくりして顔を見合わせてしまった。ヤジとはいえ、オバチンに誉められるとは思ってなかったのだ。

オバチンはプンスカ怒って帰ってしまった。
それからzampanoはオリジナルの曲を演奏した。集まってくれたお客さんたち、喜んでくれた。「オリジナルの方が何倍もいい」
ずっとカバー曲を演奏して活動してきたzampanoだから嬉しかった。
アイデンティティや得意なものは変わるし、変えていける。長く努力していくことができるなら。
自分たちを決めつけすぎていたかな、と感じた。

 終電で馨子が帰った後もお客さんは何組かやってきて、そのたびに演奏をオーダーされた。
正直に言って、zampanoのステージで全力投球して精魂果てていたし、21時ころから日本酒をチェイサーにウィスキーをストレートで飲み始めて25時を回っていたから、へべれけだったが、お客さんに一言断ってギターを弾いた。みんな喜んでくれたので、おれはこの晩の酒代を心配する必要はなかった。ありがとう。
 
28時頃まで演奏は続いた。Oの家に泊まる。




12日、土曜日。夕方から日比谷野音で幼なじみのバンドのライブを見る。三歳からの仲。彼(KZK)は終始黙って、ニコリともせずに淡々とドラムを叩いていた。
 
終わった後、KZKの家族とご飯を食べる。おれ自身も家族のように付き合わせてもらっている。一つの一族。トライブ。おれは長男で、KZKは二番目。下の妹がいつのまにか結婚していたり、末弟が大きくなって大学に入って、真面目な好青年イケメンになっていたりして、話しているだけで嬉しくなった。

末弟は建築を志す学生なのだった。
おれはもう十年近く前にアメリカに行ったときに見てきたフェニックスの岩山にある球体都市の話をした。

親戚に一人はそういう話しをするオジサンいるよな。定職につかず、結婚もせず、なぜだか世の中の事象に詳しくて、対等に遊んでくれて、アウトドアが好きで、音楽や芸術や文学に詳しくて、どうやって生きているのかわからないオジサン。実は我らが一族(トライブ)の親戚にはそういうオジサンがいなかったから、NGとKZKは幼い頃、自分自身がそういうオジサンになろうと誓ったんだよ。でも一族に2人もミュージシャンの変なオジサンはいらなかったかもしれない。とにかくKZKはおれより火を熾すのが得意で、おれはいつか甥ができたときの為に無駄な知識をため込んで、KZKよりは料理が得意だ。
 

 そんなこんなで、我が一族の末弟は、兄や姉たちがあまりにもだらしなかったためにちょっと良い子に育ちすぎたんだ。暴力もふるわないし喫煙もしない。人の話をちゃんと聞いてよく気がつく良い子なんだ。ちょっと良い子すぎるけどな。
そいつが夢を持って職人に混じって建築の道を目指そうとしてる。おれは弟のためになるんだったらなんでもしたいと思うよ。でもおれにできることは数奇に満ちた我が人生を面白おかしく語ることくらいなんだわ。
 
 アリゾナ州フェニックスの岩山の上にはパオロ・ソレリという建築家が構想した球体都市があるんだ。建築とエコロジーを併せた「アーコロジー」というコンセプトに乗っ取って、岩石を削ってコンクリートにしながら日照時間だけ作業している。地下に半分埋まった球体都市の完成は100年かかるとも200年かかるともしれない。その都市には建築家をはじめ、音楽家や画家、天文学者や詩人が集まって一種のコミューンを形成している。肉食をしない人々だっから肉料理はなかったけれど美味しいご馳走をいただいた。日本人の料理人が作っていたよ。
吹き抜けには大きな鐘があって、フェニックスに吹く風に揺られて大きな音を立てている。ラピュタやマチュピチュを想像してくれればイメージは近いかもしれない。
殺虫剤なんて撒かないからベッドにはサソリや毒蜘蛛が歩いていて閉口したよ。

弟は優しい表情で、少し目を輝かせながら笑って聞いていてくれた。

「ショウちゃんの話は、ちょっと意味がわからないけど、とってもおもしろくて好きだよ」

 おれは嬉しくなってしまった。末の弟に不思議な面白い物語を聞かせるためなら、どんな命がけの冒険も辞さないつもりだ。そんな見栄にはなんの意味もないけどね。
でも、この一見ツマラナい見栄には少年のころ誰もが描いていたロマンがぎっしり詰まっているはずなんだ。ロマンなんて言葉、今日び誰も使わないみたいだけどな。NGは使うぜ!
 
 調子に乗ったNGは酔っぱらい達が集まる奇妙な手作りのバーの話もした。昨晩いたアレだ。若い建築家と酔っぱらいバーテンダーが挑戦的に作った「夜更けの人々」のこと。
今度一緒に飲みに行こうと言うと「怖いけどちょっとだけなら」と言う。こういう少し控えめなところが良いよな。NGにはひっくり返って生まれ変わっても無理だと思うよ。

 夜更けの話が本当のように、アリゾナの話も本当だよ。本当にそんな球体都市がある。でもフィクションだとしてもかまわないような気がする。楽しんでもらえればいい。おれは嘘つきのオジサンでもいい。一族というのは不思議で、愛していることが前提にあって、罵倒したり話し合ったりしてる。そうは限らないかもしれんけど、とりあえずおれと末弟の関係はそうだ。信頼が大事で、その信頼を感じる場面があれば人間は驚くほど元気がでたり輝いたりするものだ。おれは家族と、友人と一族に恵まれていたから、一族の年下のメンバーにとっては意味不明であっても何かを伝えられる人になれたらな、とは思う。
 人間の価値は、目に見える一元的なものじゃない、とハッキリ言う奴が一族にひとりはいてもいいよな。2人もいるのが問題だけど。そしてそのことを証明するには自分の人生で一生分かかりそうだ。忙しく、急ぎがちの生活だけどのんびり行くよ。一生ぶんは長いからな。

とにかく、おれの意味不明の旅と日常は本当に起こったできごとなんだよ。証拠に彼の地で手に入れた写真を載せる。おれのベッドの頭に画鋲で貼ってある巨大な馬の蹄鉄を模した彫刻の写真で、台座に「ANIMO ET FIDE」と書かれていてフランス語で「信念と愛」という意味だった。「Monument to the Last Horse」という題名の作品。Last Horseってどういうことなんだろう。



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2014年4月10日 (木)

さまよう人々が持っていないもの

6日、日曜日。
 新宿のマローネというバーで飲んでいた。Oとナナさんと馨子と。別れた、と言うとOは「みんな、大変だね」と言って睡ってしまった。ナナさんは「NG、フられたんだ。ぷぷー」と笑う。マローネでは店内のBGM、レゲエの後にジョニーキャッシュがかかっていた。
失恋に関して、おれはフラれたくせになんだか未練のような気持ちが薄い。強がっているわけではなくて、なぜだろうか。深く考えるのは止めた。考えてわかることとわからないことがある。今はなぜか寒空に雲が晴れたような心持ちだった。



7日、月曜日。
 荻窪で驢馬のインタビューがあった。インタビューというよりも盛大な決起集会のようになってしまう。内容は大丈夫だろうか?

 終わってみんなが帰った後、福井とふたりでラーメンを食いながらゆっくり話した。
彼はおれのブログについて、「あんなことを書くべきではない」と言う。
「夜更けの太陽は良え曲やで。それが太陽とか言う民宿だったとか、NGの想いとか、関係ないと思うし、知りたくない。アレを読んだらもう情景が変わってしまう。消すべき」だと言う。
 音楽がすべてに優先する福井の言ってることはわかるけれど、おれはあの文章を消したくはなかった。
女々しさだろうか?
福井と話しながら、おれは飲み過ぎて、酔いすぎていた。吐きながら家に帰る。


8日、火曜日。
 最近ランチで一緒に働く、他店のヘルプはi&rという著名なバンドのベーシストなのだ。バンドの関係も近い先輩のような人が、一緒の職場で働いているのはなんだかうれしい。黙々と淡々と働く背の高いイケメンだ。NGじゃあこうは行かないなー
 
大塚meetsでzampanoのライブ。後輩のバンド「まん腹」と対バンだった。まん腹は最高。マニアックな嗜好がさわやかに詰まった音楽。きっと有名になるんじゃないだろうか。

zampanoのライブ。

1 Bird
2 ルル
3 イージー&イージー
4 夜更けの太陽
5 メリーゴーランドにさよならを
6 お団子Boogie

 ライブに幼なじみのKZKが来てくれた。終演後、一緒に飲んだ。
彼はたぶん何か相談したかったんじゃないかと思うが、何も語らなかった。20年以上の付き合いだからべつだんどうするわけでもないのだ。
家に帰れなくなったから、池袋の漫画喫茶に泊まって、頼まれていた仕事、NG業としては久々に闇の仕事をする。思っていた以上に難しい作業で、朝までかけても終わらなかった。くそ、なさけない。そのまま朝バイトに行く。
 


 9日、水曜日。今日もまた例のバンドマンがヘルプに来てくれた。ほとんど眠れていないが、そういう些細なことが嬉しく、励みになる。
 
 ランチの営業が終わっても、また仕込みが終わらない。でもなんとか二万のリハーサル時間に駆け込んだ。
zampano二日連続ギグ。
終わった後に黄金狂のスーザンが来る。やつがいたから飲んでしまう。深酒をしすぎだよ。寝てねえのに。
ギグがはねた後、漫画喫茶に向かう。二日目の作業。がんばれるか。今がんばらなきゃいけない時がある!
四角く切り取られた天井。
 
今どこにいるのか?どこにむかっているのか??
曖昧にしてはいけない。どこにあっても名付け直す必要のある場所から始まり、未だ名前の付いていない場所へ行くということ。自覚を持たなければ。

↑という文章を8時間前に書いていたがなんのことだが全然わからない。

 今は10日、木曜日の朝八時。ようやっと闇の仕事が終わる。二日家に帰らないでネカフェ泊まり歩いてライブやってるからツアーみたいだ。東京だとバイトやってライブやって、その後深夜に謎の作業して、ということが成立するから怖い。ネカフェ難民でその日暮らしの仕事でしのぐワーキングプアの人たちのことを思った。
彼らのことは計り知れないけれど、東京の経済が加速しすぎた状況がこういった働き方や生活を可能にしている。確かに駅に近いネカフェに居れば、眠れるし、寒くはないし、出勤もしやすい。ネット環境があれば大概の事務仕事はできてしまうし、充電さえできればたいていの連絡には事欠かない。ただ充電はできても大切なものはぽろぽろこぼして喪っていくように思った。
ノマドという言葉がイヤで。遊牧民の素晴らしい伝統と文化はモバイルに毒されたクソビジネスマンが模倣して良いものではないと思う。

遊牧民が持っていて、ネカフェ難民やノマドフリーランスビジネスマンが持っていないものはなんだろうか。

それこそ伝統と文化だ。倫理だし、掟。歌とか。知恵。
それがない遊牧民なんてダメだろ。追放だよ。荒野で一人で生きていけよ。

おれはミュージシャンとしてそういう新たな時代の伝統や知恵を探し求めているはずなのに、やっていることはぱっと見のスタイルは、掟のない、働きすぎのクソ現代人みたいなのだ。

それでもおれの触れたもの関わるもの、生み出したものには誇りと伝統の切れ端が含まれているはずだと。

 四角く切り取られたクソみたいなネットカフェの天井の下でも、おれが叩き出して必死で作り上げたものが弱々しい電子的なデータでしかなくても、それでも心のあるものは生まれ得る。
いつか必ず開けた場所にたどり着けるはずだ。だから今は何の価値もないコンテンポラリーで無機質な背景でもいいんだよ。


そう思って仮眠するしかなかった。一時間後にはバイトなんだ。




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2014年4月 6日 (日)

もう一度太陽に会えるなら

 三年付き合ってた彼女と別れた。

フラれた、というのが正しい。

 理由は明快で、彼女としては安定した生活を持った伴侶を見つけたいということだった。
それはもうおれにはできないことで。
粘ってみたけれど結論としては別れるしかなかった。
バンド風に言うと方向性の違いというやつ。
 
 彼女はこの間まで女子大生で、春に卒業したばかり。
初めて出会ったのは前のバイト先で、神保町のレストランだった。
あの頃のことは過去の記事にもよく書いた。
職場には役者志望や声優志望にミュージシャン、店を持とうとしてるやつとか色んな奴がいたが、彼女はその中にあっていわゆる「ふつう」の女の子だった。
付き合うまでにろくにしゃべった記憶もない。
 

 確か驢馬が始まったばかりの頃で、当時おれは25、彼女は19だった。とても若く、未来にあふれている女性の人生の時間をNGと過ごすのはどうかと思って無駄に逡巡していると、うちのベーシストが

「NGくんはどうでもいいけど、彼女はまだ若い。(ダメだったとしても)彼女の方はきっと立ち直れるし、やりなおせるから大丈夫だよ」

という意味のことを言われて、なぜか勇気づけられたことを覚えている。

 結果的にはベーシストの言っていた通りだった。別れ際、彼女はおれを踏み越えて颯爽と去っていった。

 好意を持っていることと人生を共にすることは違う、ということをはっきりとおれに言い渡した。そのとき彼女と初めてふたりきりで飲んだことを思い出した。

 初めて飲んだとき、薄暗い居酒屋で、突き出しをつついていたおれに、彼女は好意を持っていることをはっきりと伝え、少しも怯えているようには見えなかった。
おれはなんだかんだ言い訳をして彼女とふたりになる状況を避けていたダサイやつだった。逃げるのはやめた。
彼女の気っ風のよさに惚れた。



 それから三年間楽しかった。
彼女とはいわゆるふつうの恋愛をしていたと思う。
 おれはなるべくダラシナいことを止めた。バンドマンであることと、自暴自棄に自滅的であったり享楽的であることは違う。それでも乱暴だったし、享楽に弱い、根っからの傍若無人ではあったけれど。
ふつうの社会生活を送れるようにはなれなかったが、「THEバンドマンの彼氏」みたいには振る舞わず、できる範囲で人間としてちゃんとしようと思った。仁義を通す、というか。でもそんなのできてねーなー

しっちゃかめっちゃかで爆裂な毎日に彼女が無視しながらも寄り添ってくれたのは、彼女の芯の強さだと思う。あいつは全然動じなかった。おれはなにかのオバケのように人を脅かしてばかりなのだが、オバケに動じない女の子とは仲良くなれるつもりだ。

 何年か前、おれの誕生日の日に、待ち合わせをしていたら大雪になってしまった。
彼女は傘をちゃんと用意していて、用意がいいね、と言うと
あなたとデートする日は必ず雨が降るので必ず傘を持ち歩くようになった、と言われた。うれしかった。

ふたりでバナナ鰐園に行ったときも嵐だった。おれは友人から借りっぱなしのSMENA8M(だったかな)でたくさん写真を撮ったのだけれど、天気が悪くてほとんど失敗の写真だったよ。

http://barbalomography.tumblr.com/image/21221240048

彼女には撮るな、と言われたので彼女の写真はほとんどないのだ。バナナワニ園に冷たい雨が降って、バナナもワニもじっと動かなかった。

 
千葉の御宿、太陽という民宿に泊まって、ラム酒を飲み過ぎたあとにふたりで砂浜まで歩いた。
はっきり言ってその日の海は大荒れで、笑って手を引く彼女が心中を誘っているようでめちゃくちゃ怖かったが、朝起きると覚えていないという。そういうやつなんだ。

 結局、彼女と生涯をともにすることは無かったのだが、彼女が言うように愛情と実際の社会生活を供にすることは少し違うと思う。
ただ現実の生活に優るものはない。すべてのものが歯車に噛み砕かれてしまうが、だったらあの頃思った純粋な気持ちはどこに行ってしまうんだろうか?

すべては現実の前にすりつぶされてなくなるのか?



感情は思い出とともに、歌と音楽ともにある。

その思いをみんなが自分のところにとっておいて、いつでも再生できるようにおれたちは音楽を録音しているよ。

だからどうしても非現実的なんだってよ。

気持ちが変わらない、変えられないそのことの儚さを思い知った一日でした。









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2014年4月 5日 (土)

SNTRM

4月1日、火曜日。
 時間労働。消費増税に便乗してランチの値段が上がった。1400円。1400円?!バカ高い観光地の飯みてえだな。だが、この辺は花見の時期になると観光地とさして変わらないことになる。一見さんが沢山来るんだ。だからそいつらは恐れを知らず1400円の飯をオーダーしていった。こういうことしてると常連客がバンバン離れていくのが世の常だと思うが何を考えているのだろうか?
 
 バイトを上がって一人で練習していた。ガットギターの弦、近頃はアルゼンチンの弦を張っている。ひところはブラックナイロン(黒い)とか、チタンナイロン(チタンが配合されていて青紫がかっている)とか試したが、それらはテンション高く、張りつめた音がするのだ。
しかし、どうやらおれはピッキングが強すぎるみたいで、そいつらを使うとハードすぎる音になってしまう。かつての驢馬ではそれも必要だったのだが、現在の驢馬はビルドアップして少しはサウンドが抜けるようになったので、ガットギターのくせにハードなサウンドだと耳障りだと感じるようになった。だから結局は優しげなふつうのナイロン弦が良いみたいだった。
 
夜、代々木公園に花見に行った。驢馬とHOMMヨとおまわりさんの共同企画「SNTRM」の花見だった。少し寒かった。

 花見をちゃんとしたのは2011年以来だ。あのとき地震の直後で花見も自粛ムード(?)だった。ある高名なラッパーと飲んでいたのだが、彼は在日朝鮮人で、警棒を持ってうろつく警察官たちを見て「チョンは殺されてしまうんだ」と震えながら女の子を二人ナンパしていた。関東大震災の後のアナーキストたちのような退廃的な飲みだった。

 ひっかけた女性はあまり美人ではなかった(てか全然可愛くなかった)が、ナンパしておいて彼女たちを放置する失礼なボーカリストを横目に、彼女たちを後日驢馬のライブに招待しようとしたNGは「仕事があるからー」とかいって体よく断られてしまったことを覚えている。

 NGの話にはオチがない!と代々木公園で壷さんが喚いていた。

今年はみちゃんと壷さんとおまわり達と。なぜか馨子もポテトを持ってきていた。

花見の時飲んでいた2人が九州出身らしい。
最近おれの友人が肉親の死によって九州に帰り、元炭坑だった町の土地相続問題で困窮していたんだが、おれはオームタとオーニタを間違えるくらい九州の地名に疎いので、話そうとしたが口を噤んでしまったのだ。

寒いから渋谷に移動した。ちょっと眠かったのでその後のことはあんまり覚えていないんだな。

サナトリウムというのは長期療養を必要とする患者のための施設で、肺結核に限らない長期病理(精神疾患や脳腫瘍など)のものも収容しているらしい。
サナトリウムというと、即座に結核を思い出すけどそうでもないんだな。梶井基次郎とかな、放蕩の限りを尽くした後のサナトリウム暮らし凄い。檸檬のその後の方が好きだ。
 
サナトリウム、強制収容所を連想してしまうが。どうにも閉じこめておいてもすぐ暴れるような元気なやつらばかりのイベントだ。

観に来てよ



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